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地震当日

2011.03.13.Sun.09:10
おぼえがきなど。
午後三時ちょっと前。
会社のオフィスで、他業務のため停滞していたDB構築作業を再開していました。
なんとか、4月までにはDB稼動させたいところだよな、などと思いつつ・・・。
向かいのデスクに戻ってきた同僚の携帯が聞きなれない音を立てた。
「なんだ?」地震警報でした。

直後に起こった地震。「揺れてる!」「おー、揺れてる!」
先日の地震と同じような、波長の長い地震。船に揺られているようです。
オフィスに隣接する食堂へ出ると、見る間に蛍光灯が次々と消えていく。
ところどころ消えないで残っているのは、非常用電源に接続されているため。
食堂の窓に寄って見ると、正面玄関前の防火用水が左右に揺られて、
たらいを揺らしたみたいに水をばっちゃばっちゃとあたりに撒き散らしている。

地震もいったんおさまり、尿意を感じていたのでトイレへ。
途中の廊下で自宅の有線電話に電話をかけるも、かからない。
携帯にかけると、2回目でつながった。母だ。
「だいじょうぶか?」「大丈夫、額が一個落ちたけど、なんもない。父が今、
2階を見に行っている」「そうか、じゃ、切るよ」

用を足した後社内をざっと見回る。みごとに非常電源以外すべて停電している。
どうやら火の問題もなく、停電だけで済んでいるようだ。
食堂へ戻ると、オペレータの人たちが続々と食堂へ集合。

工場全体が停電であり、二次災害の心配も無いことが確認できたので、あとは
何もできることが無い。そのまま食堂で待機する。

喫煙タイムなこともあり、喫煙所で一服。
ワンセグ携帯のTVをつけて観るも、電波状態が悪く、静止画になっている。
画面を見て、「うは、煙があがってる」「どこだ?」「お台場だと」「うひゃー」
「震源どこよ?」「ここの震度は?」震度5でした。
そうこうするうちに津波警報が出され、まもなく宮古湾の津波の様子が映った。
「うわ」「ひでえ」「船が道路流れてる・・・」
こちら日本海側でも、津波警報が発令。16:00に0.5mの津波予想。
うちの工場は海岸から100m程度しかない。

まもなく工場長より、食堂に集まった皆へ行動方針の通達。
オペレータと本社プロパーは各係ごとに全員の点呼が取れ次第帰宅。スタッフは17:00ごろまで待機。
そのあと帰宅して、何も無かったら帰社。20:30ごろまで待機して夜勤勤務のオペレータが来たらすみやかに帰す任に当たれ。

続々とオペレータが帰宅する車の列が正門に続く。ときあたかも津波予想の16:00。
(やばいなあ。無事に行けよ~)
17:00になったので帰宅。
信号機が機能しないので朝のラッシュ並みの渋滞。交差点では左右をよく確認して、警官の交通整理のない交差点では譲り合いの精神で。
父母は暖房が無い中、ジャンパーを着ていた。居間は温みが残っているのでとりあえずはしのげていた。
親父がトランジスタラジオを出して来て情報収集。
ガスと水道は生きていた。
明るいうちにと、即ガスストーブを出してきて点火。
ろうそくと懐中電灯を出す。
レトルトの牛丼を調理して夕食をしたため、弟妹家族の無事を確認できたのをしおに、帰社。
暗いことは暗いけど、ヘッドライトで他車がよく見えるのでそれほど問題じゃない。
途中、コンビニが暗いながらも営業していて非常用物資を買いにきた車でごった返していた。

会社に着くと、皆応接室にいる。発電機で電球を点灯しているようだ。
工場内は暗く、何も見えない。ライターをつけて、一方の壁に手をつけて手探りで進む。
こうなるとダンジョンだよなあ。
幽霊とか出ても、「およびじゃねえ、すっこんでろバカやろう」とか言いそうだ。

とりあえず「人数は足りてる、帰ってよし」とのことで、再度帰宅。
途中のコンビニに寄るが、すでに閉店しているようだ。

帰宅して8時過ぎまで待機。
これ以上起きていても何もできそうもないし、懐中電灯の電池も温存しておく必要があるので、早々に寝ることにする。5回まで余震を感じた。うち一回の大きいのは新潟方面の地震だったもよう。

翌朝7時に起床。
出社する用意をしていると、同僚から携帯に電話。別命あるまで自宅待機。
鍋でお湯を沸かして、起きてきた両親にコーヒーを入れた。

13日9:00
出勤の命があったので、これから行ってきます。

13日19:00帰宅。


12日続き
朝食をとった後、タバコを切らしていたこともあり、町にお出かけ。
最寄のコンビニが開いていたので、タバコ3箱とラジオ用の単4電池を購入。
インスタントラーメンやカップラーメンは売り切れてしまっていた。
その後足を伸ばすと、信号が復旧している!
国道まで出てから引き返そうと踏み切りに差し掛かると・・・。
踏み切りの信号が左右点滅しているものの、カンカンという音も無く、遮断機も降りていない。
渡っていいものかどうか迷ったけど、ラジオでJR運休と聞いていたこともあり、念のため5,6回左右を確認して1速で一気に踏み切りを渡った。後で親父に話したら笑われたw

その後はやることも無い。
読みさしの文庫本を居間で昼寝など挟んで読みふけり。
17時前後に電気が復旧。TVを点けて見る。
ラジオで聞いて想像していたが、それ以上の惨状に絶句。
18時ごろ、課長からTEL。
インフラと一般家庭の電源復旧が優先されているため、工場の再開は目途が立たない。
よって13日は自宅待機とのこと。

13日
ブログを書いていたら係長よりTEL。
朝食をそそくさとしたため、出社。
途中のコンビニでお茶と昼食のパンを買い込んだので、社についたのは9:40ごろ。

どうやら電源が復旧したので、稼動可能なところから順次稼動するとのことで、その前準備で状況を確認せよとのこと。
それから今まで、自分の担当範囲の動作確認と精度検査を実施。
普段なら1週間かける作業なのでなかなか終わりませんでした。
どうやら第一、第二工場の4分の3くらいは確認終了。特に問題点はなし。

明日は残り4分の1を確認した後、隣町にある第三工場の確認に行きます。
その後リストをまとめて報告、ってな段取りかな?
コメント
臨場感ありますね。
文章上手いですね、当時の様子が良く分かります。
信号のない交差点は私も経験しましたが、こういう時はなんとかしのげるものですね。
巨大ショッピングモールと違ってコンビニは今や町中の小売店として重要な位置を確立しているようですね。

また将来オール電化も考えていましたが、文章を読んで、やっぱりガス電気揃えていた方が良いのかなと思いました。
意外とガスより電気ラインの方が大きな影響を受けている印象を持っています。

生活も仕事も未体験の事で大変そうです、早く普通の日常が戻ると良いですね、
Re: 臨場感ありますね。
> 文章上手いですね
FF7にハマっていた当時、二次創作などしていました^^;

コンビニは結構重要ですよね。
でも電気がないとPOSも使えないし、なかなか思うに任せないようです。
今日も帰りに寄ってきましたが、食料品関係があらかた空になっていました。
聞いてみると、生産地が宮城なので再入荷の目途が立たないのだとか。
これからじわじわと影響が出てきそうです。

ライフラインの復旧は、電気>ガス>水道の順らしいです。
今回は幸いガスと水道が生きていたので良かったのですが、ガスもさることながら灯油や七輪などもあったほうがいいかもしれません。

物流などが回復して本当の意味で日常がもどるのは半年か1年後になりそうですね><

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